自分で運命を選ぶ

秋田移住決断までの道のり

移住決断のきっかけは実はもう一つあったんです。

それは父の高齢化です。

実は私、秋田出身ではありません。

私の両親が秋田出身で両親が結婚して横浜に家を構え兄と私が横浜で生まれました。

だから、「やっぱり秋田美人だと思った。」と患者さんから言われるたびに

カラコンを付けていて「君の瞳はきれいだ」と言われた感じ(実話)・・・

ウィッグを付けてて「髪の毛、奇麗だね」と褒められた時と同じ気持ちになります。

まぁ、そんな事は置いておいて、

私の両親は兄と私が成人し自立するのを見届け、定年退職後に

「老後は秋田で」と母の実家があった阿仁合に家を建てて2020年に引っ越しました。

母はもう20年前に他界していますが、父はまだ一人で阿仁合の家に元気で暮らしていました。

親の高齢化

私がオーストラリアに留学し結婚して子供が生まれてから

毎年1回は父に孫の顔を見せるために日本に帰国していました。

父も2年に一回 飛行機を乗り継いで孫に会うためにパースに来てくれました。

80歳を超えた父。

もう、長時間、飛行機を乗り継いでパースまで来るのが体力的に難しくなってきていました。

その当時、私の働いていたパースの病院の受け持ち患者さん達を見るたびに

「私の父もここ(病院)にいてもおかしくない年齢なのだ」と思うのです。

人は誰でも年を取ります。

時間の流れはどんな人にも平等です。

正直、父もこの先、いつどうなるかもわかりません。

この先 父に何かあれば、私は日本に一時的にでも帰らざる負えなくなります。

それはいつか分かりません。

でも、そういう日はいつか必ずやってきます。

そして、その時に家族全員で秋田に住むというのは遅すぎるのではないかと思ったのです。

「なんでもっと早くに帰ってこなかったんだろう?」

と後悔するのかな?と考えた時に

「後悔する」と思ったのです。

それなら、後悔する前に行かなくちゃと思ったのです。

そんな、いつ来るかわからないいつかの為に。

父だってまだまだ孫に伝えたいこともたくさんあると思う。

元気なうちにもっと孫たちと触れ合ってほしい。

もしかしたら、20年生きちゃうかもしれないけどね。(笑)

親の死に目に会えないことを覚悟して日本を出たのに。

自分の勝手で家を出て日本を出て今まで暮らしてきたのにね。

父に秋田移住を相談

秋田移住前の日本への帰国時、
ある程度の覚悟を決めた時、父に秋田移住の話をしました。

私 「って、言う事で みんなで秋田に帰ってこようかと思って。」

父はびっくりした様子でこう言いました。

「まだ早いんでないか?」

私 「早い? どうして?」

父 「あと2~3年 そっち(パース)にいれば?(俺は大丈夫だから)」

そう言われてはっきりと確信したのです。

2~3年後では遅過ぎると

丁度、この話をした少し前に娘は「人生初の挫折」を味わいました。

この時体験入学で行っていた小学校3年生の授業についていくのが難しくなってきていたのです。

授業はこれからどんどん難しくなっていくでしょう。

それを考えると2~3年後では勉強に到底追いつけないと思いました。

子供達の日本の小学校への編入うを考えるなら今がギリギリな年齢だと思ったのです。

運命は自分で決める

秋田移住前にシドニーの日本人の占星術師のお話を聞く機会がありました。
その人が言うには、
「人は生まれる前に人生の大まかなイベント(結婚、出産、離婚、引っ越し、移住など)を設定してきている。
それは人生のターニングポイントにもあたる出来事でそこは必ず通過しなければならない所。
中にはその通過ポイントと違う方向へ行こうとしたり、スキップしようとする人もいる。
そうすると宇宙はその人を正しい道筋へ戻そうと圧力をかけることがあるんです。
だって、そのポイントはどんなに嫌な事でも通過すると自分で決めてきたから。」

その話を聞いて私は
同じ通過する(秋田へ移住することになる)なら、強制的に通過するのではなく自分で決めて、覚悟を決めて挑みたいと思ったのです。だって、自分で決めてきた事なのですから!

それから間もなくして、私の人生3章への幕が開きました。

私は秋田に移住してから占星術を学びました。
ホルスコープは自分の取扱説明書です。自分が地球に生まれる前に設定した運命の使いこなし方を知るツールとなります。
これを知ることによって自分らしい人生を輝かせることができますよ。
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