息子が「自閉症スペクトラム」と診断された日

子育て

4年前の2019年11月、息子が8歳になるちょっと前に息子は
「自閉症スペクトラム」「学習障害(LD)」と診断されました。

あの時の衝撃は今も覚えています。

2019年4月からオーストラリアから秋田移住し、
日本の学校で2年生になって学校環境も言葉も勉強もガラッと変わり
息子は学校の勉強について行けていませんでした。

オーストラリアでの息子

息子は娘と比べると言語の発達が少し遅めでした
4歳で幼稚園に入るまで英語でも日本語でもない自分の言葉「息子語」を話していました。
息子が生まれた時からベビーシッターに来てくれていた義母に
「息子は何て言ってるの?」と聞かれて「わかりません。」と答えました。
義母はイギリス人ですので英語を話します、
ですから息子の言葉は義母に理解できない「日本語」だと思ったようです。
たぶん旦那もそんな風に思っていたのかな?


それでも、私が話す日本語の支持「OO持ってきて」などは理解してましたし、
旦那や幼稚園の先生の話す英語も理解し、その通りに行動できていました。幼稚園生活、小学校1年生になっても特に問題行動もなく、
一つだけ言われたのは「Resilienceが低い」と言うこと。

Resilienceとは日本語に直訳すると「回復力」「復元力」「弾力性」などの意味ですが
息子の場合、何か自分が予期していなかった事態に直面すると、「この世の終わりと言わんばかりに打ち砕かれ泣く」「なかなか気持ちを変えられず、物事を受け止めるのに時間がかかる」と言うものでした。
それでも、その時はまだ4~6歳でしたので、「子供ってそんなもんでしょ」と思ってました。
学校の先生も「何か起こった時にはどうやって気分を変えるか、対処法などを指導している。」と話してました。

お友達とのトラブルもなく息子はクラスメートからは人気者で
プレイデート(休日や放課後に一緒に遊ぶ)にもよく誘われていました。
オーストラリアでは個人の主張が強い子が多いので、そこに合わせてくれる
優しい息子は好かれていたのです。
(自分の好きな遊びを息子はいつでも一緒にやってくれるからね)

秋田移住後の息子

そんな息子が日本の生活に順応するまでには、すごく時間がかかりました。
机に伏せて泣いたり、お昼休み後になかなか教室に入れなかったり、
日本特有の集団生活(といっても、クラスメートは5人、全校生徒30人もいない学校ですが)
にもなかなかなじめませんでした。
それでも、学校には毎日通ってましたし、
(時々「頭痛い」「おなか痛い」と休んだことはあります)
その時の息子は給食と友達と遊ぶ休み時間のためだけに学校に行っていた感じでした。

一番つらかったのはやっぱり日本語に慣れていなかったこと、
親や友達、学校の先生が言っていることはなんとなく理解できる
でも、自分の事や自分の考えや、思っていることを日本語でも英語でも
言えなかったんです。

泣くこと、そして首を振ることでしかコミュニケーションが取れなかった息子
その時の様子を私は「ヘレンケラー」のようだと先生に話したのを覚えています。

担任の先生、サポートの先生、校長先生、教頭先生も含めて「息子のサポートについて」何度も話し合いを持ちました。

そして、学校から言われるままに、知能試験や小児科医の診察を受けて
「自閉症スペクトラム」「学習障害(LD)」と診断されたのです。

診断されたときの心境

診断された直後は激しく動揺したのを覚えています。

どんなふうでも、どんな息子でも愛してる気持ちは変わりません。
だって 診断を受けても息子は何も変わってないのです。
今まで通り 可愛い素直で純粋な息子

確かに日本の学校の勉強にはついて行けていないかもしれません。
でも 息子は辿々しい日本語で一生懸命に話してくれます。

道路脇で摘んだススキの枝の皮がいい匂いがする事
畑で見つけた虫の事
大好きなマイクラ(ゲーム)の事
庭で見つけたキラキラ光る石(砂利)の事
彼が見る世界を私達にも伝えてくれます。
一緒に共有してくれます。
それで良いんじゃないかと


もちろん 学校の勉強も共同生活も大事です。
それに対しては彼も私も学ばなければいけません。
彼の良さ 純粋さ優しさ面白さを失わずに大きくなってほしい。

普通の子だと思ってたけど
「普通じゃなかったんだ」
とショックを受けている自分

ちょっと変わってるかもだけど
日本語辿々しいけど
時々何考えているかわからない宇宙人だけど
これも彼の個性
と思っていた。

これが「自閉症スペクトラム」「学習障害」と言うものなんだって。

この診断名がつく事を私はしばらく受け止められませんでした。
消化できるまで時間がかかりました。
気持ちも心もグチャグッチャでした。

友達からの励まし

この私の報告をFBで見たお友達から沢山のコメント、メッセージいただきました。
本当にありがたかったです。

診断を受けた時はショックだったけど
FBで言えて、そして自分の気持ちを吐き出すたびに少しづつ心が軽くのを感じました。

励ましのメッセージがとても心強かったです。

「うちもそうだよ。 やっぱりグラグラするよね。いいんだよ動揺しても」

「すぐに受け入れられなくてもいいんだよ」

「私も同じように自閉症とか発達障がい児の子どもを持つママさんたちに励まされて一歩一歩進んでます。1人じゃないからね!」

「ある意味公認宇宙人。公認「私たちが見えてない世界」を見せてくれる子、だよ!」

「大人がつけた勝手なラベルだからね。息子ちゃんの価値は一ミリも変わらない」

「障害児や自閉症だらけだしこれからも一丸となって「普通」を打破していきましょう!

あなたの帰って来る場所はいつでもあるからね」

涙が出るほど嬉しかった。

ぁあ、1人じゃないんだ。
私も息子も。

私達家族を気にかけてくれる
受け入れてくれる
愛してくれる人が沢山いる。
嬉しいね。
ありがたいね。
全てはうまく行っているんだね。

励ましてくれた友達へ感謝しかありませんでした。

診断後の学校側のサポート、特別支援学級

この診断を経て次の年(2020年度)から学校は「特別支援学級」を息子のために開設してくれました。
息子のために特別支援の教師が1人ついてくれて、そこで息子に必要なカリキュラム(特に日本語)をがっつり組んでくれて、精神的なサポートもしてくれました。
特別支援学級の金銭的なサポートもあり、(給食費半額、申請すれば文房具など上限2万円のお金が返ってきた)とても助かりました。

息子は2020年4月から2年間(3年生、4年生)を特別支援学級で過ごしました。
違う学校に行くことではなく、同じ学校の同じ学年に2組(特別支援学級)を作ってくれて、
一緒に学習できる音楽や体育などは1組のお友達と一緒に授業を受け、そのほかの時間は2組で自分のカリキュラムに取り組みました。

息子の日本語も上達するにしたがって1組で授業を受ける機会も徐々に増えていきました。
息子は算数が得意だったので、4年生に上がるころには算数は1組で一緒に授業を受けていました。

4年生の秋ぐらいに学校側とも話し合いをして5年生から普通学級に戻れることになりました。

小児科医からのサポート

「自閉症スペクトラム」「学習障害(LD)」と診断されてから隣の市の小児科の「自閉症スペクトラム」「学習障害(LD)」の専門医に定期的に受診していました。

息子は特に問題行動はなかったので、投薬もなく、様子観察のみ。
特別支援学級の担任の先生も半年に一回、受診についてきてくれて、息子の授業中の様子などを話してくれました。

特に情緒不安定もひどくなることもなかったので、受診は3~4か月置きになりました。
2021年の秋に2022年(5年生)に進級するにあたり、小児科医からの意見書も書いてもらい、
2022年に普通学級に戻ってからは受診もしていません。
(Drには困ったことがあればいつでも来てねと言われていました)

息子の成長

息子は日本に来てからは性格も自信がないせいか?人見知りをしたり、人前で話すのは苦手で、口数も少ない方でしたが、2020年4月から特別支援学級に入ってから、日本語がめきめき上達し、性格も明るくうるさいくらいおしゃべりになりました。
2020年の夏休みに行った「昆虫観察会」では、移住したころから知っている人が来ていて、
息子の変貌に驚いてました。

日本の生活の慣れもあるのでしょうが、特別学級に入ってからは夕食の時に「お姉ちゃんお姉ちゃん、これ知ってる?」と主にゲームの話でしたが、うるさいくらいに話すようになりました。
まるで、幼児が言語を話し出すときみたいに、息子は自分の思考が言葉にできて伝えられるのがうれしくてたまらないといった感じでした。

それに伴い、教室に入れなくて泣いたり、息子が予期できない事が急に起こっても泣いて教室から逃げたりすることも少なくなってきました。

特別支援の担任の先生の働きかけで夏休みの自由研究発表会に出て発表する機会があったり、
夏休の読書感想文で市町村主催の読書感想文コンクールでは最優秀賞、県のコンクールでは優秀賞を受賞したり、息子はめきめきと自信をつけて人前でも自分から進んで手を挙げて積極的に発言するまでに成長しました。

5年生の進級で普通学級に戻ることに不安はありましたが、4年生の2学期の段階で道徳以外の授業を1組の友達と受けていたので、息子本人も不安を訴えることはありませんでした。

今現在(2023年)も6年生の普通教室に問題なく通って授業をうけています

4年前を振り返って

4年前に息子が「自閉症スペクトラム」「学習障害(LD)」と診断された時はすごくショックでした。
この4年間を振り返ってみると息子は成長しましたが、今でも愛すべき宇宙人の息子です。
友達が言った通り、診断を受けても彼の価値は1mmも変わっておらず、
むしろ、あの時彼に必要なサポートをがっつり受けるための診断だったと思えます。

自分の思っている事、考えていることが言えずに泣くことでしか表現することが出来なかった息子。
立派になったね。よく頑張ったね。偉かったね。
いつかこの経験が役にたつ日が来ると信じています。

どんなあなたでも愛してるよ。

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Posted by Kayano