我が家が秋田移住を決めた理由 前編
このブログはオーストラリアから秋田に移住して5年目から書き始めたので、どうして私たちが秋田に移住してきたのかの理由を書いていませんでしたね。
今回は「私たちがどうして秋田移住をきめたのか?」その当時の揺れ動く感情とともに書いてみたいと思います。
2018年7月下旬、私はフェイスブックの投稿で「チョールトン家 秋田に移住します!」と発表しました。
フェイスブックでも炎上か?と思えるぐらいのコメントと反応に発表した本人もちょっとビックリしたのを覚えています。笑
反応の中には「なんで?」「どうして?」という声もありました。
そりゃ そうですよね?!笑
だって、今まで歩んで来た道と全く逆ともとれそうな方向性ですから。
そう思うのも普通ですし、そこに隠された意図を知りたいと思うのも当然だと思うのです。
ぶっちゃけ、発表した当の私ですらビックリしたのですから!笑
旦那の一言
それは突然降ってきました。
私が2018年6月に当時住んでいたオーストラリア・パースから秋田へ一時帰国を控えた4日前の事です。
旦那が遅番勤務だったので、子供達を学校に送ってから旦那と二人でちょっと遅めの朝食を取りに近所のカフェに行ったのです。
そこでの旦那との会話は主に「ホリデー楽しんできな」と言うものでした。
その時の日本一時帰国は旦那は休暇が取れなかったので、私と子供達だけの帰国でした。
子供達2人は日本で体験学習として秋田の地元の小学校に通う予定だったので私は日本でお一人様ホリデーを満喫できる!!!とワクワクしてました。
日本で何しよう?
旦那に気兼ねせず、子供達の邪魔もなく買い物できる!!
ヤッターなんて 妄想してニヤニヤしていた矢先・・・
旦那が言い放った一言
「って 言うか、日本に移住しても良いんだけどね」
は?
今なんて?!
日本に移住とかなんとか言いました?!
「日本に住んでも良いよ」ともう一度旦那。
この時はこの一言が私達チョールトン家の行く末を大きく変えるなんて、
旦那も私も思ってはなかったんです。
突然の旦那の「日本に住んでも良いよ。」発言に衝撃を受ける 私。
実は旦那がこんな発言をするのは初めてじゃありませんでした。
旦那が私と付き合いだして、彼が生まれて初めて行った海外が日本でした。
その時から日本大好きな旦那から「いつか日本に住めたら良いな」と幾度となく聞かされてきたのです。
でも 決まって私から次に出る言葉は
「仕事どうするの???日本語できないのに?」
急に現実に戻される旦那・・・しょぼ~ん(´・ω・`)
で、その次は決まって「宝くじが当たったらね!」
「10億円くらい当たったら1年の半年は日本で、半年はオーストラリアで暮らすの!
両方に家買ってさ。 もちろん飛行機はビジネスクラスだね!」
なんて、しょせん夢物語で全然現実的ではなかったのです。
旦那が言うには彼は日本で暮らしたいという意思はあったが
私がいつも
「日本はホリデーで行くのが一番!」
「日本に暮らす? 無理無理!絶対に無理!」
と言っていたので、自分の意見を押し通しても日本へ!と言う気はなく諦めていたらしい。
そう、旦那は「日本で暮らしたい」と言っていたのだ。
しつこいけど、今まで何度も何度も!
でも、彼の気持ちはちっとも私には届いていなかった。
と、言う事は、私の受け止め方が変わったのだ。
では、なんで変わったのか?
あんなに頑なに「日本には住まない!」と言い、
私はずっとパースに住むもんだと信じていたのに。
なんでだろう?
私がパースに移住した理由
そもそも、私は何でパースに来たかと言うと、
「パースに住みたい」と思ったからです。
よく、「旦那さんと結婚してパースに来たんですか?」と聞かれるが、旦那と出会ったのは
私がパースに来て2年後(2007年)の事で旦那が原因でパースに来たわけではないんですね。
旦那と出会うもっともっと昔(1999年~2000年)に私はワーキングホリデーでパースに一年間滞在しました。
普通ワーホリで来ると語学学校とか行って語学がちょっとましになると、ラウンドと言ってオーストラリアを旅してまわるのが主流なんだけど。
私、こう見えて出不精だし、引っ越しもあまり好きではない性格です。
語学学校に通ってやっとパースの土地に慣れたのに、なんでわざわざ違う都市に引っ越してまた1から始めなきゃならないの?と、私はパースに残ることを選びました。
一緒に来た友達は私を残し一人でラウンドへ旅立ちました。
このワーホリでの1年でパースでいろいろなことを経験し、カルチャーショックを受け
私はすっかりパースの虜になってしまったのです。
パースなら私は自分らしくいられる、自分らしく生きていけると思ったんです。
25歳の春でした!
「どうすればパースに住めるのか?」と調べたら、オーストラリア人の友達が
「ナースになれば永住権はすぐ取れるよ。」と教えてくれました。
その当時オーストラリアは慢性的なナース不足で外国人でもナースになれば簡単にスポンサービザを取ることができたのです。
よっしゃ! パースに住めるぞ!!
私日本で看護師でよかった!
私はパースに絶対に戻ってくる!!と誓ってワーホリから帰国しました。
日本に帰ってから病院で働きお金と看護師としての経験をためると同時に、どうすればオーストラリアでナースになれるのかを調べたり、もちろん、英語の勉強もできる限りやりました。
パースでナースになって永住権を取ってパースで暮らす!
この夢に向かってひたすら働く日々、周りの友達は次々と結婚し、子供が生まれて新しい家族を築いていく中で、私は孤独だった。もちろん、羨ましかったし、結婚にも憧れた。
そんな中母が病気で倒れ私の花嫁衣装も見ることなく他界し、その後も残された父の面倒を見ながら働いたりしてパースに帰ってくるまでに5年もかかってしまった。
私は30歳を過ぎてから日本を出た。
パースでナースになってパースに住むためにとうとう2005年にパースに帰ってきた。
大学に行って勉強し、なんとかナースになれた。
運よく公立病院で就職が見つかり、スポンサービザも出してもらえた。
旦那と出会ったのもその頃、ナースとしてオーストラリアで働くことは毎日がとても刺激的で楽しかった。
旦那と付き合って1年後に結婚し、マイホームも購入し、子供にも恵まれた。
私の望んだ夢は次々とかなえられ、それはもう、幸せの絶頂ともいえる時を過ごした。
もう!幸せ!!
私 パースに住んでる!
よく頑張った私!!
仕事に行く時に車を運転しているだけで
「私、パースの街を今車で走ってるんだ!私すごいなぁ!」と浸れるくらいに!
後半へ続く↓
長い長いもやもや期を経て自分と向き合い、自分の軸を見つけたから、
今の秋田の生活があります。
この経験を生かしてメルマガ講座では「自分軸の見つけ方」をお伝えしています。